10年の家庭内別居を経て40代で離婚した女性の体験談
年末は忙しさが紛らわしてくれるけど
我が家の場合、口はほとんどきかない、食事は作るけど食卓は別(一緒に食べたくないからわざと時間をずらしていた)、休日に一緒に出かけることなど全くない。という状態でした。生計は一緒、洗濯はするけど、夫の部屋の掃除はしない。といった感じです。私たちにとって、夏休みや冬休みなどの長期の休みは苦痛でしかありません。
その中でも冬休みは地獄です。年末は大掃除やら料理やらで忙しく、大晦日の夜はお互いの部屋でそれぞれがゆっくり過ごすため問題はありません。苦痛なのは元旦の親戚まわりです。普段はそばにも寄らず、口もきかない夫婦が分厚い仮面を被らなければいけないのです。
恐怖の里帰り。姑からは無視でも終始作り笑い
結婚してから、元旦にお互いの実家を訪れるのは恒例になっていたので、行かないという選択肢は考えたこともありませんでした。夫の実家に行くと、姑からは「無視」といういじめに合います。夫はもともとお母さん子で、可愛がられていたので結婚当初から嫌われていたんだと思います。
子供たちも最初はお年玉をもらい、ご機嫌でしたが、子供ながらにその光景を目の当たりにして、嫌な思いをしていたと思います。同じテーブルの端っこに座り、作り笑いをしながら話しを聞いて、ただ時間が過ぎるのを待つのです。
「ごちそうさまでした」と笑顔で玄関を出ると真顔に戻り、沈黙のまま車を走らせ、私の実家へと向かいます。私の実家では夫が借りてきた猫になり、また同じような時間が流れます。とにかく両親に険悪な雰囲気が伝わらないように、仮面をかぶるのに必死でした。今考えると本当に無意味な時間です。
離婚を決意。初めて拒否した里帰り
離婚を決意し、証拠集めなどの準備を初めていた私は、初めて里帰りを拒否しました。それぞれが自分の実家に帰り別々に過ごしたのです。実家の両親からは「どうしたの?」と聞かれましたが、そこはうまくはぐらかしました。
そして年が明け、私の方から離婚を切り出しました。それから2ヶ月ほどかかりましたが、協議離婚がまとまり晴れて自由になりました。姑からの嫌な態度を我慢できるのは、家庭を円満に維持しなければという思いがあればこそです。
子供のためになんとか離婚をせず、ギリギリ体裁を保つように家庭内別居を続けていましたが、今思えばそれも本当に子供のためになっていたかと言ったら疑問です。今では大切な家族と心から安らげる時間を過ごすことができて、とても幸せです。