母親は本能とも言える母性があり、子供のことを自分の分身のように感じてしまうようなところがあると言われています。ですがその本能が歪んでしまったり、理性を忘れて暴走してしまうこともあります。
この記事では、「母が嫌い」という感情を大人になっても持っていた自分の経験や、母親との関係に悩んでいる人の話を整理してまとめ、今感じていることを書きたいと思います。何か参考になることがあれば幸いです。
母親を嫌いになった理由
私が母親を嫌いになった理由は、身体的に暴力を加えられたことや、否定的な言葉を投げかけられたことにあります。自分に対する仕打ちだけではなく、他人に対する意地悪なものの考え方や、自己中心的な行動などもそうです。
母親を嫌いになる理由は人によって違うと思いますが、暴力を受けた、何かを強要されたなど、自分に対する攻撃の他に、わがままだとか意地悪だとか。そもそもの人格が嫌いというパターンも多いようです。
偉そうにされる、嫌味を言われる、怒鳴る、うるさい、ヒステリー、尊敬できない、過干渉など。日常的な母親の言動から少しづつ拒否反応を起こしていくということも。
相手が友人や上司なら離れることは簡単ですし、配偶者でも、最悪「離婚」という選択をすることによって、解放されますが、小さな子供が母親から逃げることは、よっぽどのことがない限り不可能です。
もしも小さい時に、この気持ちを誰かにわかってもらえたり、対処してもらえたりすることができたら、母を嫌いになるという気持ちが増幅することはなかったような気がします。
母親と離れることができても消えない気持ち
就職をするとすぐに家を出て、一人暮らしをはじめました。距離を置くことでストレスは激減し、心や体も安定してきました。ですが、たまに会うと気持ちがぶり返すので、次第に帰る回数も減っていきます。
ところが母と離れて暮らし何十年たっても、ふとしたことで子供の頃にされたこと、言われたことを思い出し、「嫌い」という感情が溢れてくるのです。
実家に行くたびに「もう二度と行くもんか!」と思いながら、帰ってくる。というようなことを何度も繰り返す人もいます。求めたり、諦めたり、後悔したり。一度こじれた母と娘の関係の糸は、とても根の深いところでもつれているように思います。
母から受けたトラウマを克服するには
私の場合、母からの攻撃が過去のことなのに、ふとした時に思い出して辛くなっていました。虐待を受けた人や、ネグレクトなど、ひどい経験をした人は特に、憎しみを持ち続けてしまうことがあるようです。
もしもあなたが、すでに母親から離れて暮らしているのにも関わらず、母から受けた理不尽なことを、大人になっても忘れられず苦しんでいるならば、考え方を少し変えてみるといいかもしれません。
とにかく距離をおく
感情を無理に押さえ込んだり、本当は辛いのにポジティブに考えようとすればするほど苦しくなることがあります。まずは相手と接する時間を極力避けて、距離を置くことが最初のステップです。
離れて暮らすことができないなら、なるべく接触しないような工夫をしたり、離れて暮らすためにはどうすれば良いか考えること。
離れて暮らしているけれど、たまに電話で話したり、会った時に嫌な気持ちになった時は、すぐに電話を切ったり、帰ったりすること。喧嘩をしなくてもいいんです。急用ができたからなどと言って、すっと離れることです。
戦う相手は目の前にはいないという認識を持つ
離れて暮らすことができていて、しかもずっと会っていない、もしくは、すでに相手が亡くなってしまっているのに、いつまでも心の傷を埋められない場合もあります。しばらく会っていないのに、ふと思い出してしまう場合も同じです。
戦う相手とは離れているのに、自分の頭の中で思い出してしまうのは、過去の記憶と現在の記憶が戦っているような状況です。戦っているのは母親ではなく、母親を許せないと思う自分。
もしかしたら母を「許せない」「嫌い」だと思う気持ちを自分自身が忘れたくないのかもしれません。今その場に相手がいないのなら、それは脳みその中で起きていることで、戦う相手は目の前にはいないという意識を持つことです。
母親も病気だったのかもしれないと思う
自分も母になって、子供を育てることが、とてつもなく大変だということを知りました。母親が子供に対して手をあげてしまうほど、気持ちに余裕がなくなっていた原因が何かきっとあったはず。
それは父との関係だったかもしれないし、嫁姑問題だったかもしれない。親同士の付き合いの中にストレスがあったかもしれないし、近所に嫌な人がいたのかも。
小さい時、お母さんは20代や30代。50歳を超えた今の自分から考えると、それはまだまだ経験も浅く、未熟な年齢。母もストレスを抱え大変だった。もう時効にしてあげよう。そんな風に考えられるようになり、初めて楽になることができました。
まとめ
母が嫌いという感情は私にとっては非常によくないものでした。母に愛してもらえなかったというダメな自分、母を大切に思えない親不孝な自分など、自己嫌悪感が出てくるのです。
親が子供を育てる上での最終的な目的は、子供を自立させ、1人で生きていけるようにすることです。その点では、母から逃れるために早く自立できたので子育ての目的は果たしたのかもしれない・・。とも思えます。
時間はかかりましたが、自分に悪影響を及ぼす母への執着を手放すことで、本当の自由になったような気がします。